空手の課題
 
空手が抱える課題を、思いつくままに書いてみたいと思います。
 

分解組手の明文化
空手は歴史的に少数の人間に口伝で伝えてきた為に、型の分解組手の教科書が存在していま
せん。正しく普及するに当たっては「単独型の手順書」だけではなく、「分解組手の解説書」が必
要です。

空手が本土に紹介された当時は、幾つかの理由により型の分解が伏せられました。このHPで
述べてきたように、「型の分解組手が正しく伝わっていない」ことは空手界にとって大きな問題で
す。

分解が解らなければ、型は変わってしまう可能性があります。
 実際に幾つかの改変が行われていますが、これがなぜ改変されたかは説明がなされていませ
ん。

また、型試合で「使えるか使えないか」ではなく、「力強いか美しいか」という別の基準で採点され
るのは、ある意味おかしいことです。
 確かに、名人達人の型は見ているだけでも見事でしょうが、バレリーナが空手の型をやっても
見事に演じるに違いありません。
 どこが違うかといえば、護身術として「使えるか使えないか」という基準が違うのです。バレリーナ
がどんなに見事に型を演じても、型の意味もわからず、カタチだけでは護身術としては役に立た
ちません。型の意味を理解し、約束組手などで使えるように練習をしなければ、空手としての型と
はなりません。
したがって「分解組手の明文化」は必要でしょう。


型を使えるようにするのが組手
「型」と「組手」は現在では競技として別々になってしまっていますが、本来は「型」を使えるように
するのが「組手」だったはずです。
 組手といっても多くの人がイメージされる「自由組手」ではなく、「約束組手」及び「一本組手」の
ことです。
 その前提となるのが、型の解釈(分解組手)ができていることなのですが、多くの場合、この出
発点で躓いてしまっているようです。

約束組手というと、約束3本組手のようなものを想像しがちですが、それはあくまで初心者用とし
て、剣道の「切り替えし」などを参考にして創作されたものです。
 従って現代の約束組手は、型を分解したものはありません。

型は基本技を組み合わせたものではありませんので、本来の約束組手はまったく別物です。

よく「型は多年やっていれば自ずと理解できる」という人があります。そのケースも否定はしませ
んが、効率の悪い方法とだと思いますし、失伝する部分の方が多くなると思われます。
自得することが可能であれば、師はいらないことになり、また、仮に自得すべきものであるなら
ば、現時点において型は使えていなければおかしいことになります。

型の分解は、基本的に原型を口伝と共に師から学ぶものです。
先人の知恵の集積である型が、一代の練習で解明できるほど単純ではありません。
もちろん、そこから派生する技法は無限にあるのでしょうが、それは原型でなくて応用というべき
ものです。

分解組手を理解して、一人型を十分に練習した後、初めて2人での組形を練習する段階になり
ます。
型を使えるようにするのが組手(約束組手)の稽古ということです。


技術上達論的ルールの必要性
現在、寸止め、防具、グローブ、フルコンなどのルールが存在しまします。どれもが、どうやった
ら安全にかつ実戦に近いかというのがテーマですが、結局どれもが一長一短を抱えています。
 最近では、それぞれのルールの中でさらに細分化が進んでいます。

それとは正反対に、バーリトゥードに代表されるように総合格闘技も盛んになってきました。

しかし、そのどれもが強さの競い合いを前提にしていますので、型に含まれる多くの技術は省み
られなくなります。

型に含まれる技術が、仮に実践的だとしても、練習しなくては使えるようになりません。しかし、
現行のルールでは殆どが使えないために、試合で勝つ為にはルール以外の技は練習も研究も
されなくなるのが現状です。
 久保田先生も「いくら教えても、試合に使えないので誰も習いたがらない」と嘆いておられまし
た。

先生は教えたがっているのに、生徒は試合に使えないから興味を示さないというのは、他の道
場や流派でも同様の話を聞きます。これも失伝の原因のひとつと考えるならば、やはり対策を講
じる必要があるでしょう。

武道技術上達論的に考えれば、強さの比較は必要ですが、それとは別に「技の習得度を確認で
きる試合ルール」も必要だと考えています。
 要するに、習った技術を実際に使えるかどうかを試すためのルールです。習った技術には当然
「型」も含まれますので、型の分解も使える試合ルールを考案する必要があると思います。

月刊空手道に剛柔流の自由組手試合というのが載っていました。
 剛柔流の型に含まれる技術を用いて上手さを競うようです。

今までのルールの反省から、最近は技術上達論的な実験が始まっているようですので、それら
が充実してくると「型」と「組手」の融合が図られ、全体のレベルが上がると思われます。


型を使う為には何が必要か
前項では、型を習得するために必要なのが「組手(約束組手)」と書きました。しかし、型をやる必
然性がなければ誰も練習をしようとは思いません。そこで、なぜ型に内蔵される技が組手試合で
使えないのか、或いは使われないのかを考えてみました。

大きく分けると次の3点だと思います。
 1:分解が理解できていない。
 2:試合ルールでは分解が使えない。
 3:単純な技だけで試合は勝てる。

1:分解が理解できていない。
 論外ですが、今までこれが一番の問題でした。やはり、本土に輸入したときに本来の唐手を移
植できなかったことにあるようです。
 このことは他の項でも書きましたので、ここでは詳しくは書きません。
 形試合も分解を研究しなければならなくなってきており、今後分解の研究が進めばその技を使
う為にどうすべきかということが研究されていくでしょう。

2:試合ルールでは分解が使えない。
 「掴み」が使えなければ、殆どの分解が使えないことになりますが、唐手が本土に紹介されたと
きから「唐手は突き、蹴り、打ちの武道」という捉えられ方をしてきました。
 昭和4年頃の東大唐手研究会の「拳法概説」には、「突き蹴り打ち以外は唐手に非ず」と定義さ
れています。
 従って、多くのルールが「掴み」を排除した形となって発展してきました。

しかし、最近のWFKの国際ルールは5秒間以内の掴みは認められており、投げ技も積極的に
使われています。
 また、フルコンルールも多様化してきており、「投げ」を認めるところも出てきました。
 遠回りをしたようですが、原点に返りつつあるのではないでしょうか。

3:単純な技だけで試合は勝てる。
 現行のルールは、突き蹴りで勝敗を決めるために、単純な技を磨いていくという練習に重きが
置かれています。
 今後、分解の研究とともにルールが変われると考えられます。

また、単純な勝敗としてのルールではなく、上達過程を図る為の組手ルールも検討されるべきで
あると考えます。技を習得するためには、必然性がなければ誰もそれを習得しようとは思いませ
ん。
従って、分解を使わなければならない組手ルールを作る必要があると考えます。

実験的に、型分解を表現できる組手試合も出てきていますので、今後のルールがどのように変
化するのか興味のあるところです。


護身術としての空手

空手は本来、護身術として発達してきているので、競技としてではなく、その方面の研究が必要
であると思います。

護身術であるならば、必要だと思ったときに、ある程度効果的な技を身に付けられるものでなけ
れば意味がありませんので、即戦力となる技術体系であることが要求されます。
即戦力とは、「今すぐ使えるもの」であって、「10年先、20年先に使える」ものではありません。
また、この要求レベルは、習った分、或いは練習した分だけ使える内容でなければなりません。
その意味では、型(或いは技)を一つ習ったら、その範囲で使えるものであれば、護身術として
成り立つと思われます。

競技武道である、柔道、剣道、空手では、一人の選手が使う得意技は、大体3つ〜5つ位です
から、
空手の型一つを「使えるまでマスター」すれば、ある程度の実用になると考えます。
型を例に揚げると
平安初段では、「下段払い追突き(中段突き、前蹴りの対処)」「鉄槌追突き(手解き)」「揚受け
(上段への対処)」「追突き(威力の増大)」「手刀受け(中段への対処、投げ)」と5パターンの技
で構成されています。
平安二段では、「揚受け+内受け〜」「横蹴り」「手刀受け」「内受け前蹴り逆突き」「揚受け」と5
パターンの技で構成されています。
従ってひとつの型にある5つ程度の技を使えるようにマスターするだけでも、十分護身術として実
用化が可能であると思います。
そう考えると昔の達人が、型の数を多くは知らなかったのも頷けるのではないでしょうか。



空手における日本と海外の認識の差

空手は既に世界的な広がりをみせていることは、周知の事実です。
しかし、「空手の認識」という面では、ある意味において日本は遅れをとっていといえます。

試合においても、WKFの団体形(分解を含む)では日本はトップではなくなりました。
組手の試合においても、外国勢の方が多彩な技を使っています。
また、その技も型の分解と一致するようなものも見受けられるようになりました。そのひとつとし
てJKfan2006年1月号「ビアモンティの技と型の分解の一致」として書きました。
日本におけるビアモンティのセミナーでのインタビューでも、「形も十分稽古している」という受け
答えが印象的でした。

海外の空手試合では、古武道部門もあるのが一般的です。それも形試合だけではなく、防具を
つけてスポーツチャンバラのようなウレタンを使った武器によって試合をします。

分解においても海外では多くの人が研究され発表しています。
ひとつの定量的な比較をしてみましょう。

アマゾンにおいて「空手 分解」で検索してみます。米国と英国のアマゾンでは「karate bunkai」で
検索をしてみると以下のようになります。

Amazon.jp(日本)
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%
3Daps&field-keywords=%8B%F3%8E%E8%81%40%95%AA%89%F0&Go.x=0&Go.y=0&Go=Go

amazon.com(米国)
http://www.amazon.com/s/ref=nb_ss_b/102-7842195-9454521?url=search-alias%3Dstripbooks
&field-keywords=karate+bunkai&x=11&y=26

amazon.uk(英国)
http://www.amazon.co.uk/s/ref=nb_ss_w_h_?url=search-alias%3Daps&field-keywords=bunkai&
Go.x=10&Go.y=13&Go=Go

日本では0という結果に対して、海外では多くのものが研究発表されています。
(私の本は、タイトルやサブタイトルに「分解」という単語を使っていませんので、この検索では出
てきません。)

参考までに、ハワイ空手ミュージアムの蔵書(年代別)をリンクしておきます。
http://museum.hikari.us/books/index20.html


玉石混合だとしても、差を付けられすぎているように思います。
これら差は、「空手に対する認識の差」ということができます。


日本では、試合に勝つことが優先するのに対し、海外では空手を試合だけのものより、文化や
護身など理解する幅が広いためにおこるのだと思われます。
また、海外の空手家は日本に行くときに、本土を通り越して沖縄に行く傾向があります。
そこで分解などを習ってくる人もいるのでしょう。

このままでは、いずれ外国人に空手を習うようになるでしょう。




空手伝真録

空手伝真録(沖縄図書センター、金城昭夫著、5000円)を買ってきて読みました。
著者は1955年から調査を開始したというから、既に50年の歳月をかけた大作であり、空手の
源流を調査したもので、これ以上のものはないであろうと思われます。
特に、中国への調査で、福建省の各地方の方言にまで踏み込んでいるのはすごいと思います。
空手の型の名称は、福建省の泉州、福州の方言から成り立っていて、白鶴拳、羅漢拳、太祖拳
などが原型であるという調査で、沖縄の達人たちが習ったと伝わる、ワイシンザン、トゥルーコ
ウ、イワーについても、人物まで特定しています。
私は仕事で福建省に行くことがあるので、泉州、福州など馴染みがあるので、興味深く読むこと
ができました。
歴史に興味のある方は、一読をお勧めします。以下は抜粋です。

ワイシンザン
王(ワン)先生(シェンシャン)→ ワイシンザン
冊封使護衛武官として来流し、拳法を教授している。
右衛門殿の島袋、九年母屋の比嘉、瀬名波、具志、長浜、新垣、東恩納、桑江の他に、首里の
松村宗棍、久米の湖城大禎らも師事した。
方七娘の夫であり、白鶴拳二代目の曽四の高弟「五虎」の一人である王打興(ワンダーヒン)で
ある。
沖縄伝武備志に白鶴拳始祖の方七娘や曽四の後を継いだのが王氏だったと書かれている。
ワイシンザンに師事した新垣通事親雲上(ペーチン)が、白鶴拳のセイサン(十三)や(蟋蟀戦)
シソーチンの型を体得していることからも推測できる。

イワー
遥は福州方言で「イアウ」→「イワー」
冊封使節イワーは龍拳の掌門人(宗家)「遥」であると考えられる。
福州龍拳の系譜
南少林寺の鉄珠和尚→朱山→彭徳成→彭金山→曽歩犀→→余祈賢→崔達年→何永青
                                                  →潘祥松
イワーの弟子には、首里の松村宗棍、久米の真栄里蘭芳、湖城以正が習ったとされる。
首里の比嘉清徳先生の武芸館に「サンファブ」という型が伝承されている。
イワーが冊封使随員として来琉したときに伝えられたと考えられる。
龍拳に三破歩(サンファブ)という同名の套路がある。
イワーの流れを汲む福州の湖城道場に入門した松田徳三郎は「一百零八歩」を習得して帰郷し
た。
剛法竜拳に同名の套路が伝承されており最終段階で学ぶとされている。

アソン
虎拳 李招北
「阿招」であれば「アソン」と聞こえる
アソンに師事したのは、那覇の崎山、具志、友寄らである。
那覇の崎山は崎山喜徳で、弟子の国吉は剛拳で知られる。
福州虎拳も頑強な骨格を練り力量溢れる観の拳法である。


金城昭夫先生の趣旨は、唐手は殆ど輸入されたとするものです。
その根拠の一つは、型の名称が全て沖縄語ではないからと書かれています。



糸洲十訓の考察

前文

原文
唐手は儒仏道より出侯ものに非ず住古昭林流昭霊流と云う二派支那より伝来したるものにして
両派各々長ずる所ありて其侭保存して潤色を加え可らざるを要とす仍而心得の條々左に記す

現代文
唐手は儒教、仏教、道教より出たものではなく、昔に、昭林流、昭霊流という二派が、支那より
伝来したものである。両派それぞれ特長があり、そのまま保存して改変しないことが大事であ
る。よって、心得の条文を左に記す。

解説
要点を要約すると次の3つになります。
1:仏教や儒教や道教とは関係ない。
2:唐手は中国伝来の昭林流昭霊流の2系統がある。
3:それぞれに特徴があるので、そのまま手を加えず保存し改変しないこと。

1:については、問題ないと思います。

2:について
昭林流昭霊流の2派とは、従来、小林拳のことではないかといわれてきました。
しかし、この文脈において2系統というのは、中国の門派(流派)のことではなく、沖縄に伝えられ
た2系統と読む方が自然であると思います。

口碑では、武術をいろいろな中国人から習ったことになっています。
それらを大まかにまとめると、琉球王国において重要な位置を占めた?人(現代の福建省)の帰
化人が伝える武術と、佐久川、松村宗棍らが冊封使あるいは北京で習った武術のことを指して
いると思われます。
首里手、那覇手という呼称は、大正末期から昭和始めにかけて沖縄県庁で作られた呼称とされ
ており、この頃、沖縄に居なかった船越先生は、この呼称について、摩文仁賢和先生から教え
てもらったそうです。

糸洲安恒先生は、那覇手と首里手を学んでいますが、糸洲先生が十訓を書かれた当時は、こ
れらの呼称がなかったので、何かを参考に音が似ている漢字を当てはめて、この2系統につい
て、そのように呼称したと思われます。

3:について
糸洲先生は、「形はそのまま手を加えず保存すること」と言っており、自分が変えたとは言ってい
ません。
よく、糸洲先生が型を変えたとする文献がありますが、どの程度のことなのでしょうか。
知られているのは、摩文仁賢和先生に語ったナイハンチの改変くらいですが、前著で検証して
みた結果、改変というほどのものではありませんでした。

糸洲系統で、大と小に分けられる型の多くは、大が原型で、小は糸洲先生の創作とするもので
す。
従って、大は原型を保っている可能性があります。
変えたのではなく、新しい型を創作したとすれば、この前文の3:についての文書は頷けます。


第1項

原文
唐手は体育を養成する而己ならず何れの時君親の為めには身命をも不惜義勇公に奉ずるの
旨意にして決して一人の敵と戦う旨意に非ず就ては万一盗賊又は乱法人に逢ふ時は成たけ打
ちはずすべし盟て拳足を以て人を傷ふ可らざるを要旨とすべき事

現代文
唐手は体育を養成するだけでなく、いつのときでも国、親のためには身を犠牲にしてでもつくし、
一人の敵と戦うのが主旨ではなく、万一盗賊、無法者に会ったときでも、なるべく拳足を使って傷
つけないように心掛けること。

解説
以下の3つの文から構成されています。
1:ここで、体育という言葉が出てきています。単純に「自己の体を養成するためだけならず」と読
んでいいでしょう。

2:いつの時でも、国、親のために身を犠牲にしてでもつくさなければならない。
「一人の敵と戦うのが主旨ではなく」は、2:と3:の文に掛かるように読めます。
従って、2:に掛かる場合は、「一人の敵と戦うのが主旨ではなく、いつの時でも、国、親のため
に身を犠牲にしてでもつくさなければならない。」となります。
また、「一人の敵と戦うのが主旨ではなく」が3:に掛かる場合は、盗賊、無法者は、複数の敵を
想定していると取れます。
しかし、前後の文脈から、こおは、唐手は個人の体育の養成だけでなく、まして一人の敵と戦う
技術だけでなく、国、親のために犠牲をしてでも尽くすことを解いています。

3:万が一、盗賊、無法者に会ったときでも、なるべく拳足を使って傷つけないように心掛けるこ
と。

この場合の、「突き蹴りを使わないで、盗賊、無法者を傷つけないようにする」には、どうしたらよ
いのでしょう。

1:怪我をしないくらいに、手加減をして突き蹴りを使う。
手加減するには、日頃からどれだけの力で突いたら、どれだけのダメージがあるのか理解して
いなければなりません。

2:突き蹴りを使わないで、取り押さえる。
突き蹴り以外の技術を習得していなければ、実行が不可能です。
この場合には、突き蹴り以外に取り押さえる技術が、唐手の中には存在することになります。

また、盗賊、無法者が、素手とは限りませんので、どちらにしても、相手と数段の技量の差がな
ければできないことです。

もし、唐手が体操化されているとしたら、このような文書は書けないと思います。

この2項で言いたいのは、唐手は、人の役に立つもので、尚且つ不殺の精神を持つことを解い
ています。


2項の解説
原文
唐手は専一に筋骨を強くし体を鉄石の如く凝堅め又手足を鎗鋒に代用する目的とするものなれ
ば自然と勇武の気象を発揮せしむ就ては小学校時代より練習致させ候はば他日兵士に充るの
時他の諸芸に応用するの便利を得て前途軍人社会の一助にも可相成と存候最もウエルリント
ン侯がナポレオン一世に克く捷せし時曰く今日の戦勝は我国各学校の遊戯場に於て勝てると
云々実に格言とも云ふ可き乎

現代文
 唐手は、専一に筋骨を強くし、体を鉄石の如く堅め、また手足を槍や鋒に代用する目的とする
ものにするならば、自然と勇武の気持ちを発揮させる。それについては、小学校時代より唐手を
練習させれば、後に兵士になった時に、他の諸芸(武道)に応用することができ、将来軍人社会
の一助になる。
最も、英国のウエリントン侯が、ナポレオン一世に大勝した時に「今日の戦勝は、我が国の各学
校の遊戯場に於て勝ったのだ」といったという。実に格言ともいうべきである。

解説
1:唐手における身体の効用
 突かれても効かない強い身体を持ち、武器に代わるくらい手足を鍛えれば、自然と強い精神
力が身に付くことを解いています。

2:唐手は、軍人社会に応用できる
 小学校を卒業して、中学或いは幼年学校に入り、軍人になるというケースを考えると、小学校
6年、中学校5年(戦前)とすると、11年間練習することになります。そうすれば、軍人になって軍
事訓練や他の武道を習う時でも、唐手で培ったものが応用できることを解いています。
 当時は、日清戦争、日露戦争を経た直後ですので、軍人として通用する訓練として唐手を推薦
しています。

3:海外のスポーツ教育の事例をもって、唐手の練習を対比させている
 唐手を学校教育に取り入れることについて、英国のウエリントン候が、ベルギーのワーテルロ
ーの戦いにおいて、ナポレオン一世に大勝した時に言われた故事とを対比させています。
 ウエリントン候が云われた故事の内容は、「今日の戦勝は、我が国の学校のグラウンドで、体
育の教育をやった成果である」ということです。 英国では、学校教育の中にスポーツを取り入
れ、心身を鍛えて国力を上げることを国策として行った結果、当時ヨーロッパを席巻していた、ナ
ポレオン一世と戦争して勝利したということを言いたかったのでしょう。
 

3項の解説

原文
唐手は急速には熟練致し難く所謂牛の歩の寄りうすくとも終に千里の外に達すと云ふ格言の如
く毎日一二時間位精入り練習致し候はば三四年の間には通常の人と骨格異り唐手の蘊奥を極
める者多数出来可致と存候事

現代文
唐手は、急速には熟練するものでなく、「牛の歩みは遅いが、終いには千里以上に達する」との
格言の如く、毎日一時間か二時間くらい精魂込めて練習すれば、三、四年の間には通常の人と
骨格が異なり、唐手の蘊奥(奥義)を極める者が多数出てくると思う。

解説
1:千里の道も一歩から
 唐手の練習を継続する大切さについて、格言をもって説いています。

2:おおよその目標を提示
 上達過程について明確に目標を設定しており、免許皆伝ではないにしろ、実用になるまでの時
間を3、4年としているのは、非常に画期的な内容であると思います。


4項の解説

原文
唐手は拳足を要目とするものなれば常に巻藁にて充分練習し肩を下げ肺を開き強く力を取り又
足も強く踏み付け丹田に気を沈めて練習すべき最も度数も片手に一二百回程も衝くべき事

現代文
唐手は突き蹴りを主要とするものであるから、常に巻藁において充分に練習すること。 肩を下
げ、肺を開き、強く力をとり、また足も強く踏みつけ、丹田に気を沈めて練習すること。練習回数
も片方で百回から二百回は突くこと。

解説
1:巻き藁における鍛錬が重要である
 巻き藁の重要性と、練習回数の目安を明確にしてあります。

2:立ち方姿勢の要点
 「肩を下げ、肺を開き」というのは、姿勢の注意点です。「強く力をとり」というのは、「力を抜くこ
と」を示唆しています。また、「丹田に気を沈めて」も力を抜かなければできません。
(JKFAN2004年10月号中心軸の特集を参照)


5項の解説

原文
 唐手の立様は腰を真直に立て肩を下げ力を取り足に力を人れ踏立て丹田に気を沈め上下引
合する様に凝り堅めるを要とすべき事

現代文
 唐手の立ち方は、腰を真直ぐに立て、肩を下げ、力を取り、足に力を入れて立ち、丹田に気を
沈め、上半身と下半身の力を引き合わせるように凝り堅めることが要点である。

解説
1:立ち方の要点
 4項と重複する内容となっていますが、この項で、新たに出てきたものは、「上下引合する様に
凝り堅めるを要とすべき事」です。
「上下」とは、上半身と下半身という意味に取れます。
「引合する様」とは、上半身と下半身が、バランスよく連動することと解釈できます。
「凝り堅める」を、「力を入れる」と取られやすいですが、他の項目で「力を取り」となっていますの
で、力を入れることではないと考えます。
 要するに、正しい立ち方で丹田に気を落とした場合には、ある程度打撃に耐えられることを云
わんとしているのだと思います。


6項の解説

原文
 唐手表芸は数多く練習し一々手数の旨意を聞き届け是は如何なる場合に用ふべきかをを確
定して練習すべし且入受はずし取手の法有之是又口伝多し

現代文
 唐手の表芸(型の意味)は数多く練習し、一つ一つの手数の意味を聞き届け、これはいかなる
場合に使うベきかを確かめて練習すること。且つ、入れ(突き)、受け、はずし、取り手の方法が
あるが、これは口伝が多い。

解説
1:型は多く練習すること
 表芸とは型のことです。この時代には、型(形)という表現はされていません。
 明治36年に、安里安恒先生が口述した内容が、琉球新聞に掲載されましたが、このときは型
のことを「段のもの」という表現となっています。 従って、明治41年の段階では、型という表現は
されていなかったようです。
 文献で初めて「型」という表現を使われたのは、大正12年に船越先生が書かれた「唐手拳法」
ですので、型という表現は、大正時代頃にできたと考えられます。

本土の武道では、「形」の字が一般的な表記ですが、首里手の祖、佐久川寛賀先生、松村宗棍
先生が示現流剣術を習っており、糸洲安恒先生、安里安恒先生も示現流をよく使われたそうで
すので、唐手は示現流剣術の影響を受けていると考えられています。
そのひとつに、用語に関すこととして、平安初段〜五段につけられた「段」という表現も、示現流
の練習段階の名称から取ったとされ、また、「型」という表記も示現流の形は「型」と表現するの
で、それを採用したと考えられています。

2:意味を理解してから練習すること。
「型は、それがどのような場合に使われるのかという意味を正しく理解してから、練習すること」と
書かれています。従って、現代風に言い方を替えるならば、「分解を理解してから型を練習する
こと」となります。

3:口伝多し
 さらに、型の中にある突き方(入れ)、受け方(受け)、外し方(はずし)、関節技や投げ方(取り
手)などは、口伝とされていることが多いと書かれていますので、型の意味を正しく理解するに
は、口伝と共に分解を習う必要があるということになります。


第7項の解説

原文
 唐手表芸は是れは体を養ふに適当するか又用を養ふに適当するかを予て確定して練習すべ
き事

現代文
 唐手の型は、これが「体」を養うのに適しているか、また「用」を養うに適するかを予め確定して
練習すること。

解説
 唐手の型には、「鍛錬用」と「用法用」があるので、それを使い分ける必要があることを説いて
います。
 鍛錬という単語を使うと、基礎体力とか基礎鍛錬という言葉と混乱し、筋肉を鍛えることと取り
違えてしまってはいけません。ここで云われる、「体を養う」というのは、唐手における身体操作を
身に付けると解釈すべきでしょう。もちろん、その過程で筋肉も付いてきますが、それは、ボディ
ビルの筋肉の付き方とは自ずと違います。
 体を養うに適した型は、首里手系では、ナイハンチとセイシャンとされています。那覇手系で
は、三戦がこれに相当する型でしょう。


第8項の解説

原文
 唐手練習の時は戦場に出る気勢にて目をいからし肩を下げ体を堅め又受けたり突きたりする
時も現実に敵手を受け又敵に突当る気勢の見へる様に常々練習すれば自然と戦場に其妙相
現はるものになり克々注意すべき事

現代文
 唐手の練習をする時には、戦場に出る気勢にて目をいからし、肩を下げ、体を固め、また受け
たり突いたりする時も現実に敵の攻撃を受け、敵に突き当てる気勢で常々練習すれば、自然と
戦場における様相が現れるものであるので、くれぐれも注意のこと。

解説
1:練習は真剣にやること
 戦場に行ような真剣な意気込みで、練習することを解いています。
分解組手を行う上で、攻撃する方は真剣に突き、受ける方も真剣に受けるようにという注意事項
です。 約束組手や分解組手は、ともすると馴れ合いになり易いので、それらを戒めていると考
えられます。

ここで書かれているのは、2人で練習するときの注意点であることに、注目する必要がありま
す。一般的には、昔は単独型だけを延々とやっていたと思われていますが、この文からも2人で
の組手練習が行われているのが、明確にわかります。


9項の解説

原文
 唐手の練習は体力不相応に余り力を取過しければ上部に気あがりて面をあかめ又眼を赤み
身体の害に成るものなれば克々注意すべき事

現代文
 唐手の練習は、体力不相応に余り力を入れすぎると、上部に気が上がり、顔が赤くなり、また
眼が赤くなって、身体の害になるから、くれぐれも注意のこと。

解説
1:体力不相応な力任せな練習は、身体への弊害がある
 糸洲先生の那覇手系の師である長浜先生が、死ぬ間際に「体を必要以上に固める練習は、
体によくないから、改めるように」と言われたとする口碑が伝えられています。


10項の解説

原文
 唐手熟練の人は往古より多寿なるもの多し其原因を尋ねるに筋骨を発達せしめ消化機を助
け血液循環を好くし多寿なる者多し就いては自分以後唐手は体育の土台として小学校時代より
学課に編入り広く練習致させ候はば追々致熟練一人にて十人勝の輩を沢山可致出来と存侯事

現代文
 唐手に熟練した人は往古より長寿の者が多い。その原因を探ると筋骨を発達させ、消化器を
助け、血液循環を良くするので長寿の人が多い。ついては自分以後、唐手は体育の土台として
小学校時代より学課に編入し、広く練習させれば、追々熟練した一人で十人の相手にも勝てる
者が多く出てくると思う。

解説
1:唐手に熟達した人は、昔から長寿の者が多い
人生50年と云われた時代に、唐手の名人達人として有名な人に長寿が多いので、唐手は、健康
に良く、長寿をまっとうできる利点を挙げています。

2:学校教育に編入すれば、将来、熟達一人で十人を相手に勝つものがでてくる
 小学校から体育として学科に編入すれば、健康や長寿に良いだけでなく、将来、熟達した者一
人で、十人を相手にしても勝てる者も多く出てきます。
 ここでは、体育ばかりでなく、武術としての効用を説いているのが特徴です。


後文の解説

原文
 右十ケ條の旨意を以て師範中学校に於て練習致させ前途師範を卒業各地方学校へ教鞭を採
るの際には細敷御示論各地方小学校に於て精密教授致させ候へば十年以内には全国一般へ
流布致し本県人民の為而己ならず軍人社会の一助にも相成可申哉と筆記して備高覧候也
明治四十一年戌申十月 糸洲安恒

現代文
 右十ケ条の旨意を以って、師範中学校において練習させ、将来師範中学校を卒業し、各地方
小学校で教鞭をとる際には細かく指示し各地方小学校において正確に指導させれば、十年以内
には全国一般に広がり、沖縄県民だけのためでなく、軍人社会の一助にもなるものと考え、お目
にかけるために筆記しておくものである。
明治四十一年十月 糸洲安恒

解説
1:師範学校卒業生が、小学校で唐手を教えれば10年以内で全国に普及する。
 唐手を小学校から中学校までやれば、一応教授できるくらいにはなるという目論見のようで
す。
 小学校6年、中学校5年(戦前)なので、11年の間、毎日2時間すれば、単純に365日×11年=
4015日ですので、現代の週3日の練習に当てはめると、4015日÷週3日÷52週(年)≒26年、ま
た週2日の練習に当てはめると、4015日÷週2日÷52週(年)≒38年と匹敵しますので、十分な
練習量だと思います。

2:沖縄県民だけでなく、軍人社会にも一助になる
 琉球王国の祐筆(書記官)であった糸洲先生は、沖縄県民だけでなく日本国民のために唐手
を公開したことがわかる一文です。
 中国との国交があった琉球王国の祐筆として、明治維新が起こる引き金になったアヘン戦争
のことなどは、本土の人間より多くの情報をもっていたに違いありません。また、安里安恒先生
も諸外国の事情に詳しかったと、船越先生が記憶しています。
 従って、日本が植民地のようにならないためにも、軍事力の充実の根本である、軍人の養成
は急務であると考えたのでしょう。

3:各地方小学校で教鞭をとる際には細かく指示し
師範学校や中学校を卒業して唐手を師範となって、各地の小学校で教えるには、再度、「細かく
指示し」を仰ぐ必要があったということで、それが、「口伝多し」の内容だったのかもしれません。

つづく 
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