空手とは何か
「空手とは何か」と問われたときに、キックボクシングや中国拳法との違いは何でしょう
か。
 突きや蹴りを使う格闘技であるという意味では、共通項がありますが、それぞれの本分
とするところは違うはずです。

空手は衆知のごとく中国拳法との交流をへて、沖縄で発達してきた武術でありますが、歴
史的に薩摩藩に支配されていた経緯もあり、その発展形態は独特であったと思われます。

 技術の伝承としては、「文書による技術書(伝書)を作らなかった」ことが特徴として
挙げられます。
 例外的なのが那覇手に伝わる武備誌ですが、これは中国拳法の白鶴拳の伝書であるとさ
れています。

あと残されたものは「型」しかありません。
 我々はこの残された型を通して「本来の空手とは何か」を明確にしておかなければなら
ないと思います。 空手の定義を簡単に言えば「空手の技を使うから空手である」というこ
とがいえます。

 
使えない型
 残念なことに伝えられている空手の型は、殆ど使えません。
なぜ、型は使えないのでしょうか?

ヤマトンチュー(本土の人間)には教えるな
 他の項でも書きましたが、久保田先生によれば船越義珍先生より直接聞いた話では、
「沖縄の武道家間で秘密協定があったので、教えることができない」とのことでした。
 昼間の大学の空手部の練習と、夜船越先生の家での練習内容が違っていたそうです。
 わざと使えないように変えて、教えていたことになります。

ただし、使えないようにするためには一定の法則があり、それを解くキーワードを知れば
復元できるようになっています。
 また、仮に使えないように教わったとしても、それに疑問を持つことが必要なのだと思
います。

権威主義に陥っていないか
 「20年〜30年やらなければ使えるようにならない」といわれ練習不足で使えないと
思われていたこともあるでしょうが、既に多くの多年修行者がいるにも係わらず型を使え
るという人は皆無です。
 伝統文化を大切に保存すべきでしょうが、武道の伝統に対する姿勢は他の伝統芸能とは
自ずと違わなければならないと思います。
 「空手の大家に教わった型」であっても使えなければ意味がありません。空手は武道であ
りその技術は、最も合理的であるべきだからです。

型の衰退
分解がほぼ失伝していて型の意味が理解できないために、興味がわかなくて、型の練習自
体をやらないという傾向があります。
 特にフルコン系統では、この傾向が顕著なようです。

また、伝統派では型試合で様式美を追求していったために、実戦の動きとかけ離れていっ
たことも事実でしょう。
 力強さの表現が居着になったり、stop and goという実際の動きとは違う動きでの型試合
は、組手では使えない技となっています。

目的目標の変化
本来武術として発展してきた空手が、本土での発展と共に護身的意味あいより、競技スポ
ーツとしてとしての傾向が全体的に強くなってきたといえます。(この辺の経緯は「武道
とは何か」で少し触れていますので参照してください。)

 従って、目的も「競技に勝つため」に変わり、そのための練習をするようになってきた
ようです。これは生徒の親の要求?でもあったりして、現実には難しい問題なのでしょう。

近年、K-1などで表面化してきた「上段への対処の問題」もそうですし、また、「体に
当てさせて受ける」ような方法では、相手が武器を持っていたら通用しないでしょう。
 しかし、これらの方法もその前の欠点を補う方法として考え出されたものであり、間違
いだと切り捨てるには早計だといえるでしょう。要するに、「完璧な競技ルールは不可
能」ということなのです。

組手試合だけでなく、型試合にも同じようなことがいえます。
 演武をアピールする為に「様式美の追求」が行われるようになってきているといえます。
流祖の型と違ってきていることがそれを物語っています。

これら問題は、「認識の問題」であり、目的をどこに置くかで方法が替わってしまうこと
にあります。「2兎を追うものは・・」の例え通りで、目的をどこに置くかを明確にしてお
くべきでしょう。

また、護身を目的とするのであれば、受け技と共に「突き蹴り以外の技」の習得も必要で
す。
 

古伝空手と現代空手の対
(大雑把な比較ですので、全てがこの表に当てはまるわけではありません)
比較項目 古伝空手 現代空手
動作の名称 なし あり
掴み手 掴む 掴まない
引き手 相手を引きつける 腰から突く
前手 前手は攻撃 前手は受け
受技 両手で受ける 片手で受ける
型の仮想敵 相手は一人 相手は複数
型の動作の解釈 複数動作が1つの技 基本技の繋いだもの
運足 歩き足 継ぎ足
移動稽古 なし あり
投げ、逆技 あり なし
戦闘法 据物にして打て 動き回る相手に当てる
戦闘法 交差法 受けてから反撃
体の用法 力を抜く 力を入れる
使うための型 表演するための型
組手 約束組手 自由組手
試合 掛け試し(仕合) ルール上での試合
口伝 あり なし
武器法 両輪 別々
(この対比表は、私の現代空手と久保田先生から教えて頂いた経験を元に作成しました。
他流批判ではありませんので、悪しからずご了承ください。)

 
対比表からの考察
幾つかの項目を挙げて対比表を作成してみました。
 両者とも細部は違っても、概ねこのような内容だと思います。

どうして、同じ唐手であったはずなのに、たった80年でこうも違ってきてしまったので
しょうか。
 この対比表をよく見ると面白いことが解ってきます。 各項目全て反対であることは、何
を意味にするのでしょうか。

この対比表から導き出されることは「正しく伝わっていない」という結論ということにな
ります。「正しく伝わっていない」原因を突き詰めると「型の分解ができてない」という
ことになります。
 なぜなら、唐手は型しか伝承していないからです。
 型が正しく伝承されているのであれば、時間が経っても若干の変化はあるものの、それ
は誤差の範囲で収まると思います。本土の古流武術では、数百年の歴史を耐えて残ってい
るものもあるのです。

多くの古伝の型は言うに及ばず、一般的に初級者用とされる「平安の型」ですら本来の分
解が説明されたものは公開されていないようです。「身体操作」等の細かい技術以前に、
現代空手の形には「用法の概念」が無いのです。
 これでは、どのようにして空手を習得し、後世に伝えていくのでしょう。

型の分解が伝承されていないという現実ゆえに、本土の空手はまったく別の道を進むこと
になったようです。
 「必要は発明の母」の例え通り、本土ではその足りないところを別の方法で補完し、進
化発展させてきました。
 柔道が乱取りの中から足技を発展させたように、自由組手の中から独自のフットワーク
や足払い、また回し蹴り等の蹴り、そして多彩な試合テクニックが編み出されました。
 これらは、沖縄唐手には無かったものです。

しかし、どんなに他の分野が進化発展したとしても、「使えない型」を保有するジレンマ
は残っています。

既に、欧州では「組手の選手には、動きが悪くなるから形はさせない」とか、「日本から
はもう学ぶものがない」という声も聞かれるようです。
 最近、本サイトのBBSにおいて「形試合の現状」について意見交換がありました。現
状を教えていただいた方からも「わかっているけれど、現状はこうだ」といわざるを得な
いジレンマが伝わってきました。また、月刊空手道の記事からは一流選手でさえ、「納得
してないのでは」と思える部分がありました。

これらは、本来の用法を公開していない為に「本来とは違ったものが拡大再生産」されて
いるのではないかと思われます。
 

新垣清先生の見解
空手の技術の変遷について、私のサイトでは「秘密協定」という表現をしていますが、新
垣清先生の本にも沖縄空手として別の角度から、同じような結論が載っていましたので引
用させてもらいます。

 「歴史的にみて、昭和初期に日本本土に移入された空手は、武術としての本質を完全に
失った形で構成されるのだという事実を、空手界全ての人間が理解していなかったことに
起因する。」
 (沖縄武道空手の極意その弐 福昌堂 87Pより引用)

そこの結論の部分は同じですが、経緯について新垣先生の見解は、「西洋身体操作で理解
してしまった」という見解のようであります。
 先生の本は、沖縄空手の身体操作がメインなので、型の解釈は殆ど書かれていません
が、続編も書かれるようなので、その方面からの見方がどのようなのか興味があるところ
です。

私のところも身体操作いわゆる「基礎」といわれる部分についても「術」として存在しま
すが、残念ながら私の修行レベルと文才では新垣先生のようには表現できませんので、本
サイトをご覧の皆様には、新垣先生の本を一読されますことをお勧めします。
 
術(身体操作)と技(分解組手)を理解して練習すれば、武道としての空手の修行が進む
ことでしょう。
 私が空手を始めた頃(約30年前)は、もちろんビデオもなく、手に入る本も殆どあり
ませんでした。その頃に比べれば情報は有り余るほどあり、若い人が羨ましいかぎりで
す。


本土における変遷の考察
対比表から「正確に伝わらなかった」ことは十分考えられます。
 その後、「必要は発明の母」の例えのように、その足りない部分の埋め合わせが行われ
始めました。
 その結果、空手は本土において独自の発達をしましたが、「型と組手の乖離」はますま
す大きくなるばかりです。この現象について、どのような要因があるのか考察してみたい
と思います。

1:型の解釈が解らなかった
 繰り返し、このHPで触れているように、空手の型の解釈ができなかったことに端を発
しています。全ての始まりは、この一点にあります。(「型の分解」を参照してくださ
い。)
 原因は、複数の要因が重なり合った結果であろうと思います。
 1:本土には伝えなかった。
 2:特定の人にしか伝えなかった。
 3:教えてもらった人はいたが失伝した。
 等が考えられます。

2:沖縄と本土の練習体系に対する認識の違い
 沖縄の人であれば、「唐手は師について何年も同じ一人形を繰り返すものだ」という認
識があったかもしれませんが、本土の武道においては、そのような認識が無かったという
ことがあげられると思います。

本土の武道は柔術、剣術とも、二人で行う組形からなっています。居合でさえ、上級過程
では組形があります。本土の武道観からすれば、一人形だけを延々とやることが理解でき
ないのです。
 また、沖縄の先生方は、用法について本土の武道観とはまったく違った見解をもってい
るのも興味深い現象です。例を挙げると
 「型は様式であり、技ではない」by金城裕
 「形の中における技を組手や実戦に当てはめるのは無益である」by新垣清
 というように、本土の感覚からすると「えっ@@;」という感じを受けます。

本土の武術は二人形を練ることによって、コツ(術、身体操作)を習得しようとするのが
一般的な方法なのですが、空手は一人形で身体操作を練って理合いがわかれば、形が使え
るようになり組手に応用できる、というように方法論が逆なのです

このHPの上達論のところを参照していただけると解りやすいかと思いますが、本土武道
の一般的な練習体系は「第一段階」を取るのに対し、空手は「第二段階」が一般的な練習
体系となっているからです。

これは、多分に中国武術の影響を受けているのだと思われます。
 上達論的には、空手の体系の方が優れているのですが、用法を示せなかったところに問
題がありました。

この沖縄と本土の認識の違いが、本土の空手が独自の発展をする要因の一つであったと思
います。
 空手を本土に伝えた沖縄出身の人には、この辺が理解できなかったのではないでしょう
か。

3:柔道との違いを強調
講道館は明治初期には古流柔術との対決があり、その後明治後半から大正にかけてボクシ
ング、昭和になりレスリングとの対決をしていた時期でもあります。高弟に合気道や杖を
習わせていたのもこの次期に当たりいます。嘉納治五郎先生の最終的な柔道は、徒手総合
武道としての乱取り、つまり突き蹴りありの乱取りを目指してしたようです。
 船越義珍先生の大正5年の武徳会での演武及び大正11年の東京での演武は、講道館の
そうした次期と重なり興味を引いたのだと思います。

 嘉納先生は大正11年に船越義珍先生を講道館に招き、数ヶ月にわたり高弟に空手を習
得させています。
 さらに、翌年には沖縄に渡り空手の見聞を広めています。このとき摩文仁賢和や宮城長順
に本土進出をすすめていたようです。
 嘉納治五郎は柔道の一部に空手を取り入れることを考えていたのでしょう。昭和初期に空
手は柔道の一部とする文部省の通達がありました。

反対に、空手関係者は柔道、剣道と並ぶ第三の武道として独立したいと考えていたよう
で、柔道から独立するために独自性を強調する路線を選んだのだと思います。
その為か当身(突き蹴り)を強調しすぎたきらいがあります。

 空手にも総合武術として投げ技や関節技があるにもかかわらず、それらは柔道や他の古
流武術とバッティングするために積極的に教えるということはなかったのでしょう。

松濤館でも昭和10年頃までかかって、指導体系を作りましたので当然方向性として突き
蹴りを強調した体系になっていたのだと思います。

4:空手の理解
船越義珍先生が約束組手(対人練習)を始めたのが昭和4年頃とされていますので、この
頃までは、もっぱら型稽古と巻き藁稽古に専念していたのだと思われます。

 東大唐手部は大正15年から船越義珍先生に指導を受けていましたが、その指導にあき
たらなくなり、昭和2年頃から独自に防具試合を始めていました。
 昭和5年に発行された東大空手部三木二三郎氏の拳法概説の中に、「唐手の定義に関す
る一考」として「“相手を掴み”、“相手を投げる”、“相手と角力する”は唐手の分野
に非らずと考える」という一文があります。
 この本は型ばかりやる船越氏の唐手に対するアンチテーゼとして書かれており、本物を
求めて沖縄に行くも、結局解決には至らなかったようです。

この本のあとがきに金城裕先生が、船越師範が明確に唐手とは何かを解かなかったから、
学生が疑問に思って沖縄まで行くことになったとしています。金城先生の言われる唐手の
原点とは糸洲十訓のことです。
 さらに、「せっかく沖縄まで唐手の修行に来たのに「型が技の表現様式」ということを
誰一人教えてくれなかったことである」とも書かれています。

やはり、本当のところは誰も教えなかったのかもしれません。
 あるいは、唐手経験2,3年の三木氏が教えるレベルでなかったのかも・・・

5:自由組手による単純化
前項のごとく、「突く、打つ、蹴る」が空手と定義し、「掴み、投げる、角力」は空手の
分野でないとして、そのまま自由組手を始めるとどうなるでしょうか。
 本来の分解的使用法とは、まったく別のモノへと変化していくことは必然となります。
 自由組手や試合では練習してきたものを試すことが本来の趣旨ですが、そこに「勝敗」
という要素が入ってくると、意識が「試す」ことよりも「勝負」にいってしまい別の方向
へ流れてしまいます。

また、「高度な技ほど使い難い」「単純な技ほど使い易い」という現象が生まれる為に、
やればやるほど技が廃れていくことになり、「本人は一生懸命にやっているけれど時間の
割に技が身についていかない」という皮肉な結果になりやすいと思われます。

このようなことを戒める為に嘉納治五郎先生は、乱取りや試合について「負ける覚悟」と
して、勝つことに意識が行ってしまったのでは、技が上達しないことを説いておられま
す。技を試すということは、最初は上手くいかず、負けることも多々ありますので、負け
るのを避けると技を試す機会がなくなり、上達を阻害する結果となるからです。
 柔道においても、上達論として「負ける覚悟」を説かれているにも係わらず・・・以下
自粛
 まして武道として歴史の浅い空手においておや。

従って、技を習得するには、自由組手より一本組手に時間を割く必要があるのですが、最
近の傾向は・・・・

6:試合の多さ
自由組手の延長線に「勝敗を競う」試合があり、試合に出るからには、勝ちたいと思うの
が人情です。
 試合は安全の為にルールが存在し、そのルールの中で競うわけです。また、判定の容易さ
から大技が評価される傾向になりがちです。

勝つために練習時間を有効に使おうと思うと、ルールの中での技に限定しなければならな
くなります。
 昔は、試合に出るために空手を習うというより、強くなりたいから習うという人の方が
多く、また、試合が少なかったこともあり、試合に出る人は本当に選ばれた人でした。
 従って、試合が多くなるに連れて、この傾向が増幅されてくる結果となているようです。

7:ルールの多様化
戦後、空手が試合化されて、柔道や剣道を見習って競技武道として発展してきました。そ
の中で、寸止めルールと防具ルールが普及してきました。また、グローブをつけての実験
も昭和30年代に既に行われています。さらに40年代になりフルコンルールが出現し、
空手界は百花繚乱となってきました。

どれもが、どうやったら安全にかつ実戦に近いかというのがテーマですが、結局どれもが
一長一短を抱えています。
最近では、それぞれのルールの中でさらに細分化が進んでいるようです。

それとは正反対に、バーリトゥードに代表されるように総合格闘技も盛んになってきまし
た。

そのどれもが強さの競い合いを前提にしていますので、型に含まれる多くの技術は省みら
れなくなります。型に含まれる技術が、仮に実践的だとしても、練習しなくては使えるよ
うになりません。

現行のルールでは殆どが使えないために、試合で勝つ為にはルール以外の技は練習も研究
もされなくなるのが現状です。

久保田先生も「いくら教えても、試合に使えないので誰も習いたがらない」と嘆いておら
れました。先生は教えたがっているのに、生徒は試合に使えないから興味を示さないとい
うのは、他の道場や流派でも同様の話を聞きます。これも失伝の原因のひとつと考えるな
らば、やはり対策を講じる必要があるでしょう。


形試合の七不思議
私の素朴な疑問なんですが・・・・・(なんでだろ・・?)

1:流祖の型とは違う不思議
 形試合とは、何を競うのだろうか。何を基準とするのだろうか。
 流派とは、流祖を理想とするのであるならば、流祖の型を目指すのが一般的な考えだと
思います。
 しかし、空手においては、そのところが不明確になっています。
 写真で見る流祖の型と、違うものが演じられているのが現状ではないでしょうか。とい
うことは、今の形試合に流祖が出たら優勝できないことになります。
 さて、何が基準なんでしょう。

2:居着いた動きの不思議
 現代見られる形試合では、いわゆる「表演型」といわれるものであり、動作を区切って
演武するようになっています。
 実際に使うには途切れの無い動きでなければなりませんが、反対のSTOP&GOを繰り返し、
エネルギーを毎回殺した動きとなっています。一動作一動作区切って、「力強く安定して
立つ」ということは、力を入れることにより、「力強い」動作に見えますが、実際には
「居着いた」動きとなってしまいます。
 形試合の写真を見ていると、踵で立っているように見えるのは、そのためだと思いま
す。結果的に「使えない動き」になっていないでしょうか。

3:カリキュラムで習っていない型を演武する不思議
 月刊空手道を読んでいると、形試合で子供が上級形(古式の形)を演武していますよ
ね。なんでこうなるのかなぁ。 そもそも、段級のカリキュラムにはない形を、試合用に
演武しているのはどういうわけだろう。
 松濤館でも昔は、「初段の審査のときに鉄騎初段(ナイハンチ)だった」と書かれてい
る古老もいましたね。

4:違う形を競う不思議
 形試合でユニークなのは、違う形を競っていることです。
 パッサイとクーシャンクーを比べて、競技として成立しているのは何か変ですよね。
 ピンクレディとキャンディーズを比べてどちらがいいかというようなものです。
現行のトーナメント方式の試合で、平安初段とクーシャンクーを競わせたら、大方クーシ
ャンクーを演じた方が勝つ仕組みになっています。既に競う前から結果が出ている競技の
方法に問題があります。
競技であれば、同じ形を競わなければおかしいと思うのですが・・・

5:帯の不思議
 形とは直接関係がない「帯」の話です。
 空手の選手が、帯をコンクリートに擦りつけてボロボロにして締めているのを見かけま
すが、私の感覚からしたら滑稽に思えます。
 2、3年稽古しか稽古していない高校生の大会でも、そのような帯を締めているのを見
ると「なんだかな〜」っていう感じですね。

 大体、道衣で最初に綻びてくるのは襟なんです。襟が新品で、帯がボロボロってのは、自
分を誇張して見せようとしている愚かな姿だと思います。
 面白いことに組手の選手では、ボロボロ帯は少ないですね。
 組手ではカッコではなく実力がものを言いますので、飾る必要がないからなのでしょう
か。

また、形試合の選手は「帯が長い」傾向にあります。
 これも面白いことに、組手の選手は「帯が短い」人が殆どですね。
 私も帯の色が変わったときに、頂いた帯を締めて稽古したことがありますが、長い帯は
その日一日だけでした。
 前蹴りをしたときに、帯の端が顔に「バシッ」と当たるんですよ。これでは練習にならな
いのですぐに切りました。
皆さんの帯はどうですか。

6:他流の形を演武する不思議
 形試合の中では、他流の形を演武しなければならない場面がでてくるようです。これは個
人の問題というよりは、大会ルールの問題として捉えるものなんでしょう。

他のサイトの掲示板でも「今度、OO流のOOO形をやってみたい」というような書き込
みをみかけますが、私にはよく理解できません。自流の形でさえ難儀しているのが現状で
あるからです。

演武するのではなく、「使えるようにするのが目的」だとすれば、他流の形を練習する暇
は無いはずです。「演武するのだけが目的」であるならば、多くの形をやることは可能で
しょう。

しかし、新垣清先生の著書や沖縄空手の人の意見では、「首里手と那覇手を混同して学ぶ
ということは問題がある」とされています。「立ち方」や「力の使い方」の違いに戸惑
い、自流の習得の防げになることはないのでしょうか。
 他流の形を稽古するという「メリット」と「デメリット」を明確にしておくべきでしょ
う。
 
他流派の型を演武する不思議 その2
若井選手が型試合で負けたことが話題になっていますが、糸東流の選手が剛柔流の型を演武し
たときに、動作が違ったとか違わなかったとか・・・らしい。
流派を超えて型を習得することが非現実的であることは、昭和13年の沖縄の大家が集まった会
合で「同じ名称の型であっても、師伝によって動作及び解釈が違うことはどうしようもないので、空
手を普及するには新しく型を制定する必要がある。」という結論が出ているのです。
これは空手道大観(仲宗根源和)に書かれている内容で、出席者は宮城長順、屋部憲通、花城
長茂、喜屋武朝徳、城間真繁、知花朝信、仲宗根源和らが出席しています。
また、その対策として12本の制定型を発表していますが、その時期は本土普及がそれぞれの先
生によって進んでしまっていたので、この提案は実現しなかったようです。

そもそも型とは、技を覚えるための手段であるので、使えるかどうかのレベルを判断すべきだと
思います。型の動作が違えば、違う解釈があるはずですが、その解釈の違いが公開されないま
ま、動作だけで判断するのは本来の趣旨から外れていると思います。

型の動作を競うより、(バック転や後掃腿などしなくても)型の動作をどれだけ使いこなすか、とい
う分解競技をメインにできないものでしょうか。
既に初期の空手普及の段階は終り、世界中に普及したのであれば、次の段階のことを考える時
期にきていると思います。
皆さんは、どのように思いますか。

7:アレンジが必要であるという不思議
 少し前のBBSでも話題になりましたが、アレンジをしなければ形試合では勝てないそ
うです。もしそれがルールであり、審判基準であるとするならば、形試合は一体何の為に
あるのでしょうか。
練習では「形は変えるな」といい、試合では「変えなければならない?」。
体操とかスケートと、同じレベルでの判断基準のような気がするけど・・・・同じかぁ?

アレンジが必要であれば、やはり「創作形」の部門を作るべきでしょうね。
ワイヤーワーク有りってのはどうだろ。

団体形の決勝戦では分解も行われるのですが、これもアクロバットのように派手にしなけ
れば、勝てないそうです。派手なだけならまだしも、グランドテクニックはないっしょ!
 空手って何だ?


私の師である久保田先生は、「表演型」と「臨闘型」を分けていましたが、正しくそのよ
うな区分がこれから必要になってくると思います。

問題となるのは2点です。

1:ルールに問題がないのか。
WKFルール抜粋
 3条形競技協議会
 4.最初の2回戦までは選手は指定形のリストからのみ選択すること。選んだ形の変形を
演武することは認められていない。
 5.続く回では附則7にある得意形のリストから選んで良い。選手の所属する流派で教え
られた変形を演じても良い。

ルールではアレンジ(流派の変形)が認められていますから、流派が一般的にそのアレン
ジを教えているのかが問題となると思います。

 さて、長谷川3兄弟が行った分解は、糸東流で教えられている分解なのでしょうか。
私の手元にある糸東流のビデオにはありませんし、インタビューにある通り「3人で知恵
を出し合ってアクロバット的な要素を盛り込みました。」と言ってますので、違うと思わ
れます。
 だとすると、失格なのでは・・・・・・(よくわからん)

2:エスカレートしないのか
 「宣戦布告したようなものですね。今後、ヨーロッパのチームはバック転のような体操の
技術を、もっと演武に織り交ぜてくるでしょうね。」と伸一選手のインタビューにもある
通り、ますますエスカレートしていくでしょう。
 技術が進化するのは必要だと思いますが、空手の技としての進化なのでしょうか。
 武道の技術であれば、上手くなればなるほど動作が小さくなっていかなければいけない
はずです。武道としての視点からみれば、アクロバット的な動作は、違った方向というこ
とになると思います。一言でいうと武道の演武と殺陣を混同しているのだと思います。


形試合の提案
では、対策としてどのようなことが考えられるのでしょうか。

1:伝統形と創作形の分野を分ける
 明らかに伝統形としての範囲を越えていると思われますので、伝統形と創作形を分ける
必要があると思います。

2:伝統形の分解を公開する
 本土空手の場合、残念ながら分解が公開されたことはありません。
あったとしても本来の使い方と違うものではないかと思っています。指定形のビデオを見
ても分解が明解になっていませんので、それぞれの流派が分解を公開する必要がありま
す。
 形試合として見るならば、指定形と各流派の誤差を明確にしておく必要があるでしょう。
 

流派とは何か
「流派」とは、技術体系の違いによって、発生するグループを指します。
剣術における新陰流、念流、一刀流などの流派は、流祖の技術及び理念の違いにより発生
したものです。
従って、技術体系が変わらない限り、時代が下がっても、その流派の系列は同じ流派名を
名乗ることになります。
そして技術の継承は、その流派の技術をマスターした免許皆伝者である宗家によってなさ
れます。
この宗家が、その流派のお手本となるのです。
大きな流派になると、免許皆伝者は宗家だけでなく、師範代も免許皆伝を得ることがあ
り、江戸で修行した師範代が本国へ帰って教える場合などは、別派が出来ていくことにな
りますが、技術体系を変えない限り流派は変わりません。
別派といっても流派の中に派閥ができたにすぎません。
従って、このような場合には「〜流、〜派」と称することになります。

空手の場合、同じ先生に習ったのにもかかわらず、兄弟弟子の間で「流派が違う」という
奇妙な現象が見られます。

空手には、教伝資格に相当する免許皆伝などが存在しないためと、技法が明確でないため
に、個人の考えによって改変されてきている経緯が、複雑に絡み合い、新たな流派が生ま
れてしまう傾向が見られます。

柔道や剣道のように「統合」していくのではなくて、「分派」していく傾向の主な理由
は、流派と派閥を混同していることが原因であると考えます。

また、空手の場合は、技法の差異ではなく、競技ルールの差異でも流派が分かれる傾向に
あります。主なものは、寸止めルール、防具ルール、直接打撃ルール、グローブルールと
あり、さらにそれらが細分化する方向にあります。

これらの現象の根本にある問題は、空手の定義がされていないことにあります。
柔道を例にすると、柔道の定義は「嘉納治五郎が創始したものが柔道」という定義が明文
化しています。
また、柔道の原型となった柔術も判っており、柔術からどのようにして柔道に発展したか
も明文化されています。




比嘉世幸先生のムエタイとの試合について調査報告

大山倍達正伝という本があります。
読まれた方も多いことでしょう。
多くの調査に基づいた中々の力作だと思いますが、私はある部分に違和感がありました。

その部分とは、「1955年に比嘉世幸氏が弟子を引き連れて、タイでムエタイに挑戦して負
けた」とする部分です。
沖縄は戦争で焦土と化し、戦争が終わって10年くらいしか経っておらず、まだ米軍の占領
下にあるときに、空手の他流試合をするために海外渡航が可能だったのだろうかという疑
問がわいてきました。
当時は、本土でも1ドル360円の時代で、外貨持ち出しに制限がありました。

2007年9月の剛柔流セミナーの懇親会において、久場先生にこの件を質問しましたが、
「沖縄の当時の状況で、海外渡航ができるとは思わない」というお話でした。

さらに、11月17日に久場先生とお会いしたときに、この大山倍達正伝を持参し、該当の部
分を久場先生に見てもらい、沖縄において調査を依頼しました。
話の出所が外間哲弘先生ですので、私も面識があり直接聞くことも可能でしたが、やはり
同じ剛柔流である久場先生に依頼した方が良いと判断してお願いしました。
11月29日正午頃、久場先生から電話があり、以下の報告を頂きましたので、皆様にご報告
いたします。

久場先生は、比嘉世幸先生の直門の弟子3名と、話の出所である外間哲弘先生に聞かれた
そうです。
お弟子さんは、「そのような話は聞いたことがない」といわれ、「比嘉先生は、戦前にサ
イパンに居られたときに、試合をして突き蹴りで負けそうになったが、最後は取り押さえ
た」ということを聞いたことがあるということでした。
また、外間先生も同様に、「戦前のサイパンの話をしたが、比嘉先生が戦後にムエタイに
負けたと話したことはない」と言われ、「サイパンの話が誤解されて伝わったようだ」と
言われたそうです。
さらに、外間先生は、自分の発言が誤解されて伝わったことに対して、遺族に謝罪したそ
うです。

つづく

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